1. 聖書の中心的教えの否定
しかし、聖書は、神の御子のイエス・キリストは神であると明確に教えている。 たとえば、ヘブル人への手紙1章8節は次のように述べている。「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく¼
(新改訳2005年) ほかにも多くの聖句がこのことを教えている。 ― ヨハネ1章1節、14節、20章26-28節、使徒の働き20章28節、ローマ9章5節、ヘブル1章3節、8-9節、Ⅱペテロ1章1節。
しかし、聖書は、イエスの肉体は死から復活したと明確に教えている。:例―ルカの福音書24章39節「私の手や私の足を見なさい。 まさしく私です。 私にさわって、よく見なさい。 霊ならこんな肉や骨はありません。 私は持っています。」―ヨハネ2章19-21節、ヨハネ20章26-28節、Ⅰコリント15章6、14節、参照
エホバの証人は聖霊の神性を否定している。 聖霊は電気のような、人格のない(神の)活動力と教えている。
しかし、聖書は、聖霊は神と教えている。:使徒の働き5章3、4節「そこで、ぺテロがこう言った。『アナニア、どうしてあなたはサタンに心が奪われ、聖霊を欺いて¼あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」―ヨハネ14章16-17節、16章13-15節、ローマ8章26-27節、Ⅱコリント3章6節、17-18節、エペソ4章30節、参照。
エホバの証人は救いは神からの贈り物であることを否定している。 行いによる救いや、報いとしての救いを教えている。救われて、神の裁きから逃れるには、ものみの塔聖書冊子協会に入り、組織が命ずる働きをしなければならない、と。
しかし、聖書は、救いは行いによるものでも、報いとして与えられるものでもないと明確に教えている。 永遠の命は神からのプレゼントである。:エペソ人への手紙2章8-9節「あなた方は、恵みのゆえに、 信仰によって救われたのです。 それは、自分自身から出たことではなく、 神からの賜物です。 行いによるのではありません。 誰も誇ることがないためです。」ローマ4章1-4節、ガラテヤ2章16節、テトス3章5節、参照。
エホバの証人は、罪人は永遠の刑罰をうけることを否定している。罪人は、絶滅して存在しなくなると教える。
しかし、聖書は罪人は永遠の刑罰をうけると明確に教えている。:マタイの福音書25章41、46節「それから、 王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども、私から離れて、 悪魔とその使いのために用意された永遠の火には入れ....こうして、 この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。』」―マタイ18章8節、 Ⅱテサロニケ1章8-9節、黙示録14章10、11節、20章10、15節、参照。
エホバの証人は、人は死後も存続する霊を持つことを否定している。 人間は動物のように、死とともに、その存在の終わりを迎えると教える。
しかし、聖書は人間の霊は死後も意識がはっきりしていると明確に教えている。:Ⅱコリント5章8節 「私たちはいつも心強いのです。 そして、むしろ肉体を離れて、 主のみもとにいるほうが良いと思っています。」―ルカ16章19-31節、 ピリピ1章23-24節、 黙示録 6章9-11節、参照。
エホバの証人は、天での永遠のいのちを受けるのは、選ばれた少数の者だけだと教えている。「十四万四千人」のエホバの証人の「特別な群れ」だけが、 新しく生まれ変わり、天国で神とともに永遠に生きることができるが、 それ以外のエホバの証人は、地上に住むと主張している。
しかし、聖書は、イエス・キリストを信じるものはすべて、天国の神のもとで永遠に生きることができると明確に教えている。 聖書はこの群れを、「誰にも数え切れられぬほどの大勢の群集」と言う。:黙示録 7章9、15節「その後、 私は見た。 あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、 誰にも数えられぬほどの大勢の群集が、 白い衣を着、 しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。....彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。」― ヨハネ3章15節、5章24節、12章26節、 エペソ 2章19節、 ピリピ 3章20節、 コロサイ 3:章1節、ヘブル 3章1節、 12章22節; Ⅱペテロ1章10,11節、参照。
エホバの証人は、三位一体なる神を否定し、サタンがこの教義を作り上げたと教える。 イエス・キリストと聖霊がそれぞれ神であることを示すすべての聖書箇所を認めない。
しかし、聖書は、父、御子、聖霊は神であると明確に教えている。
(ヨハネ
1章1節20章28節、Ⅰヨハネ
5章20節、使徒の働き
5章3, 4節).
神は唯一であると明確に教えている。(イザヤ43章10節、44章6、8節
他)
父・子・聖霊は 一つであるとも教えている。—
三位一体:マタイ
28章19節、Ⅰコリント
12章4-6節、Ⅱ
コリント 13章13節
Ⅰ ペテロ 1章2節。
聖書と『新世界訳聖書』との比較 | |
聖書 | 『新世界訳聖書』 |
ヨハネ1章1節 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(新改訳) イエス(言葉)は神であるとの明確な宣言。 |
ヨハネ1章1節 「初めに、言葉がおり、言葉は神とともにおり、言葉は神であった。」 |
コロサイ1章16
節
「万物は御子にあって造られたからです。…
万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」 |
コロサイ1章16節
「なぜなら、〔他の〕すべてのものは、…彼によって創造されたからです。〔他の〕すべてのものは彼を通して、また彼のために創造されているです。」 |
ヘブル1章8
節 「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は世々限りなく…』」 |
ヘブル1章8
節 「しかしみ子については、こうです。『神は限りなく永久にあなたの王座…』」 |
聖書を不当に変えた宗教組織に従うことは、危険ではないだろうか?
成就しなかった預言の歴史のある宗教組織に従うことは、危険ではないだろうか?
多くの預言が成就していないのにもかかわらず、ものみの塔は唯一の真の宗教であり、エホバの証人だけが真のクリスチャンであると教えている。 ものみの塔を離れては、霊的な真理を学ぶことはできないと主張する。 また、ものみの塔協会に入ることによってのみ救いは得られ、エホバの証人以外の者はハルマゲドンで滅ぼされるとも教えている。
「神は、 私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のおあわれみのゆえに....私たちを救ってくださいました。」(テトス3章5節)
注